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やってよかったこと

keiko
  1. チェック表の記載
  2. 日記を書く
  3. シャンプーやスキンケアを楽しむ
  4. 仕事
  5. 面会
  6. 食事をきちんととる
  7. 写真を撮る
  8. 先の楽しみを作る

1 チェック表の記載

チェック表とは、病院側から配られた用紙で、熱、食事を摂った量、排せつの回数をチェックするための用紙のことです。食事の量と排せつの回数は看護師さんに聞かれるのでメモの役割常にテーブルの上に置き、その都度記載していました。A4サイズで片面に2週間分、裏面を合わせると4週間分の約1か月。目に見えて過ごした日数がわかるので「私、こんなに頑張ってる!!」って振り返ることは悪いことじゃなくて、自分が頑張ってきたことが自身に繋がりました。胎児の成長で目安となる28週、32週3枚コンプリートできたら生産期に突入

2 日記を書く

私の場合はなんですけど、正直入院した当初は書けませんでした。

泣いて泣いて、弱気なことばかり発言していた中で、文字にしてもマイナスなことはもう言いたくなかったからです。日記を書けるようになったのは、成長の目安を言われる28週を過ぎて落ち着いた30週に入った頃でした。30週を過ぎたころ、気持ち的に随分楽になったことを覚えています。

日記の内容は、今日あったできごとと気持ちがメインでした。日記を書くことで、

3 シャンプーやスキンケアを楽しむ

最終的にシャワーは週2日でした。30分という時間制限がありゆっくりは入れませんが、サッパリできるし、大きくなっていくお腹をまじまじ見ることができる貴重な時間でした。

メイクもできず、美容室にも行けない入院生活。美容室に行けないのは結構ストレスでした。頭はプリンになるし、ホルモンバランスのせいか白髪も増えてしまいました。おまけにシャワーは週2日だからシャンプーは泡立たない(笑)どうにかしたくてネットで調べて「スカルプクレンジング」を購入しました。これが大正解で頭皮がスッキリ!シャンプーを何回もしなくてよくなったから時短にも繋がりました。アイテムひとつで充実感がこんなにちがうものか!と感動してからは、ボディーソープやら顔のパックやら新調して楽しみました。

4 仕事

準備も引き継ぎもできず、いきなり産休に入ってしまい同僚にはかなり迷惑をかけてしまいました。しかも私の所属する事業部は2名体制なので、私がいなくなると1名に、、、

さすがに急すぎてしまったので、入院して1週間過ぎた頃に1日に1時間位、無理のない範囲でリモートワークをすることになりました。最初は仕事が回らないからと始めたリモートワークでしたが、集中して打ち込めることで滅入った気持ちを一瞬でも忘れることができました。

この期間、傷病手当の関係でお給料は発生しませんでしたが、仕事復帰後の賞与に反映してくれるとのことでした。

5 面会

不幸中の幸いですが、当時住んでいたアパートと病院が近所だったので、入院当初はMFICUの個室にいたので、毎日のように夫が面会に来てくれていました。

しかし、2週間ほど経った頃、緊急性がなくなったということで一般の産科病棟の大部屋に移動。そこでは部屋で面会はできず、共有スペースで予約をして面会をするルールでした。

MIICUの頃は移動は不要だし寝ながら話せるしとても楽だったんですが、ベッドから歩いて移動し座りながら話すのは負担がかかりそうで不安でした。実際、30分の面会時間でしたが、終わったあとは多少お腹が張っていました。

お腹が張りやすく立て続けに点滴の流量を上げた時期がありました。すごく不安になって極力動きたくなくなり、シャワーは週3日から週2日に変更してもらい、面会も週に2日に減らしたいと夫に相談し実行しました。でも顔が暗かったんでしょうね、ベテラン助産師さんから「不安だからって面会を減らしてるでしょう?旦那さんと話して気分転換しなきゃだめだよ、この状況は辛いんだからかかえこまないで」と言われ、頑張ってるのを認めてもらった気がして嬉しくてこっそり泣きました。

日中によっぽどお腹が張る日以外は、積極的に面会をするようになりました。やはりお腹が張ることはありましたが、1日の目標にもなるし何より気持ちを発散できてスッキリしました。

身体ばかりではなく、心のバランスもとることの大切さを実感しました。

6 食事をきちんと摂る

入院生活で唯一良かったこと、、、それは食事でした。

入院前は妊娠中に食べられないものを調べるのが面倒臭かったし、栄養面も過不足がないか不安でした。それに比べて病院の食事は、味はうーーーーんですが、これを3食食べていれば栄養面は問題ないので、安心を得られました。しかし赤ちゃん分の栄養も摂らないといけないので量も多く、私は好き嫌いもなく量も食べられるタイプでしたが完食するのは大変でした。実際下膳の時に他の患者さんは結構残しているようでした。でもお腹の赤ちゃんにできることはこれくらいだったし、根性で頑張って食べ切りました。終盤はお腹が大きくて一度に食べることができなくなってきたので、1日6回の分食に変更してもらいました。

その甲斐あってか、赤ちゃんはお腹の中で順調に大きくなっていきました。

7 写真を撮る

21週に入院してから、週数が増えるごとに夫とお腹の赤ちゃんと3ショットを撮っていました。

ふと最初に撮った写真を見返すと、笑顔で映る自分がいるんですね。切迫流産直後なのに、笑顔なんです。たぶん写真を撮る=笑顔が染みついているからだと思いますが。

「一番どん底で常に泣いていた時なのに笑顔でいるなんて、、、私ってすごい!すごい頑張れてる!!」と過去の自分に励まされました。

あと、調子が悪くて面会をキャンセルして落ち込んだ時に、夫が撮った写真をプリントし、裏にメッセージを書いてサプライズで渡してくれたことがありました。もう嬉しくて嬉しくて、肌身離さず持ち歩いていました。

8 先の楽しみを作る

入院当初、長ければ3ヶ月以上の入院生活。長丁場になります。楽しみがあった方が頑張れると思い、30週を過ぎたらお菓子の密輸、4月1日からはテレビを解禁しました。

入院生活でも「おやつの時間」はありましたが、健康志向のものだけ、、、たまにはジャバの味が濃いお菓子を食べたくなります。めでたく30週を迎え、夫に密輸をお願いし、舟和のスイートポテトパイの入手に成功。ドキドキしながら自分のベッドで食べました。結局、血圧などが心配だったので密輸はその1回きりでしたが、秘密ごとが楽しくていい思い出になりました。

テレビの解禁は、朝ドラのスタートに合わせてでした。残り入院生活1か月ほどで、毎日の楽しみができたのは気持ち的にとてもプラスに働きました。

9 胎児ネームをつける

切迫早産になる前は「胎児ネームなんて恥ずかしい」と思っていましたが、入院してからお腹の赤ちゃんに呼びかけることが増えて「名前がある方が話しかけやすい」と気づき、胎児ネームをつけることにしました。

名前は「めいたろう」。予定日が5月30日だったため、5月に入るまではお腹の中にいてほしいという願いを込めて。5月のMAY+太郎でめいたろうです(笑)

胎児ネームで呼び始めたら、さらの話しかける機会が増えましたし、愛着も増しました。

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